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「裁判所」をキーワードに、債務整理・借金返済の情報ナビゲーションを目指しています。 キャッシングに手を出し、ブラックリストに載ってしまったことで非常に苦労した経験があり、2度と同じ目に合わないためにそのきっかけとなった裁判所関係のニュースデータを公開します。
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2011/02/16 (Wed)

死刑執行期間内にきちんと執行されて欲しい!!

オウムで犯罪に関わった人たちの多くは、高学歴で優秀な人が多いんだよね~
どうしてなんだろう??
そういう人ほど心がピュアで、洗脳しやすかったのかな?!
もう2度と、こんな恐ろしい事件は起きて欲しくない><



◆オウム裁判:元幹部の土谷被告、死刑確定へ 最高裁、上告棄却 化学兵器を開発(2月16日毎日新聞)

地下鉄、松本両サリン事件など6事件で殺人罪などに問われたオウム真理教元幹部、土谷正実被告(46)に対し、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は15日、被告側の上告を棄却する判決を言い渡した。1、2審の死刑判決が確定する。弁護側は「教祖や教団の影響から完全に脱却し、反省を深めている」と減刑を求めたが、小法廷は「公判で帰依の姿勢を貫いており、真摯(しんし)な反省の情を認めることはできない」と退けた。【伊藤一郎】
 一連の事件で死刑が確定するのは教団元代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(55)らに続き11人目。裁判が続いているのは1、2審で死刑判決を受けて上告中の中川智正(48)、遠藤誠一(50)両被告だけとなる。

 小法廷は、サリンやVXなど化学兵器開発の中心人物とされた土谷被告の役割について「凶悪な犯行の実現に極めて重要な役割を果たした」と述べた。

 判決後、地下鉄サリン事件で霞ケ関駅助役だった夫(当時50歳)を亡くした高橋シズヱさん(63)は「いまさら謝罪といわれても逆に憤りを感じる」と語った。同事件の被害者で今も寝たきりの浅川幸子さん(47)を世話している兄一雄さん(51)は、「死刑判決が出ても、妹の姿や私たち家族の生活は何も変わらない」と話した。

 判決によると、土谷被告は93年以降、他の幹部らと共謀してサリンや猛毒のVXを製造。94~95年、松本サリン事件で11人▽地下鉄サリン事件で26人▽VXで3人を殺傷するなどした。

 ◇「被害者に謝罪したい」 便箋18枚、本紙記者に手記
 「被害者に謝罪したい」。1月31日に東京拘置所で記者と面会した土谷被告は、そう心境を語った。「麻原のことを思い出すと憤りがわく」と、2審まで固持していた「尊師」への帰依からの脱却も明言。「法廷での遺族の証言に胸を痛めていた」などと便箋計18枚につづった手記も、面会後2回にわたって寄せた。

 土谷被告は1、2審段階で「尊師を呼び捨てにした」として計3度弁護人を解任するなど、松本死刑囚や教団への帰依を明言していたが、弁護人によると上告後に反省と謝罪の意思を示すようになった。現在は、08年に獄中結婚した妻(36)が連日面会に訪れている。

 15日午後、妻から判決を聞き、「当然の結果。被害者の方々に生涯謝罪の気持ちを持ちながら、執行の日まで自分に何ができるか考えたい」と話したという。【伊藤一郎】

◇遺族の証言に言葉が見つかりません

 <土谷被告の手記の要旨>
 一連のオウム事件の犠牲になられてしまったご遺族、被害者の方々へ心の底からおわび申し上げますと同時に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 95年に私は逮捕されました。その時点での私は、捜査が進むにつれ、もろもろの出来事が麻原死刑囚(以下、Aと表記)の説法通り「国家権力による陰謀」であることが判明していくことを期待していました。ところが逆に、捜査が進むにつれてAの言葉がうそであることが次々と暴露されていきました。

 私もAから気持ちが離れそうになったのでした。ところが、ある宗教体験をし、それまで以上のはるかに強いAへの帰依心が芽生えてしまったのでした。そのため、私は初公判で職業を「麻原尊師の直弟子」と述べ、一貫して帰依を表明し続けていました。

 私に転機が訪れたのが、A法廷への弁護側証人としての出廷経験でした。私の期待に反してAは一言も証言しないまま、1審を終えてしまいました。このことで私に迷いが生じました。教団とのあつれきが生じ始めたのも、04年春ごろからでした。私はAには堂々と証言してほしかった。「Aは弟子をほっぽらかしにして逃げたのではないか」という思いが日を追うごとに強まっていき、Aへの帰依心は弱まり始め、埋めがたい溝がひろがり始めていました。

 Aへの帰依心がはっきりと崩れ始めたのは、06年暮れ、A裁判の1審判決日におけるAの挙動について記されている雑誌記事を読んだ時でした。「Aは詐病に逃げた」と思うしかなくなりました。

 97年に地下鉄サリン事件のご遺族の証言を聞き、非常にこたえました。帰依心が揺らがないよう懸命だった私ですが、やはりご遺族の証言には耐えられませんでした。ご遺族の証言に対して何と言えばよいのか、言葉が見つかりませんでした。「すいませんでした」では、あまりに軽すぎる。

 「自分自身の気持ちに素直でいれば良かったんだな」と私は悔悟の念にとらわれるのです。自分自身の考えでは上層部の指示や決定を「嫌だ」と思ったけども、「無心の帰依」「無智の修行」だと盲従し、一連の凶悪犯罪に加担してしまったのでした。

 私がAに望むことがあるとするならば、「詐病をやめて、一連のオウム事件に関連する事柄について述べてほしい」という一点に集約されます。
 

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